[日文]人间失格 作者 太宰治-第15部分
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き取りにやって来て、父が先月末に胃潰瘍《いかいよう》でなくなったこと、自分たちはもうお前の過去は問わぬ、生活の心配もかけないつもり、何もしなくていい、その代り、いろいろ未練もあるだろうがすぐに枺─殡xれて、田舎で療養生活をはじめてくれ、お前が枺─扦筏扦筏渴陇吾崾四─稀ⅳ坤い郡i田がやってくれた筈だから、それは気にしないでいい、とれいの生真面目な緊張したような口眨茄预Δ韦扦筏俊9枢_の山河が眼前に見えるような気がして来て、自分は幽かにうなずきました。まさに癈人。父が死んだ事を知ってから、自分はいよいよ腑抜《ふぬ》けたようになりました。父が、もういない、自分の胸中から一刻も離れなかったあの懐しくおそろしい存在が、もういない、自分の苦悩の壺がからっぽになったような気がしました。自分の苦悩の壺がやけに重かったのも、あの父のせいだったのではなかろうかとさえ思われました。まるで、張合いが抜けました。苦悩する能力をさえ失いました。長兄は自分に対する約束を正確に実行してくれました。自分の生れて育った町から汽車で四、五時間、南下したところに、枺堡摔险浃椁筏い郅膳ず^xの温泉地があって、その村はずれの、間数は五つもあるのですが、かなり古い家らしく壁は剥《は》げ落ち、柱は虫に食われ、ほとんど修理の仕様も無いほどの茅屋《ぼうおく》を買いとって自分に与え、六十に近いひどい赤毛の醜い女中をひとり附けてくれました。それから三年と少し経ち、自分はその間にそのテツという老女中に数度へんな犯され方をして、時たま夫婦|喧嘩《げんか》みたいな事をはじめ、胸の病気のほうは一進一退、痩せたりふとったり、血痰《けったん》が出たり、きのう、テツにカルモチンを買っておいで、と言って、村の薬屋にお使いにやったら、いつもの箱と摺π韦蜗浃违毳猊隶螭蛸Iって来て、べつに自分も気にとめず、寝る前に十錠のんでも一向に眠くならないので、おかしいなと思っているうちに、おなかの具合がへんになり急いで便所へ行ったら猛烈な下痢で、しかも、それから引続き三度も便所にかよったのでした。不審に堪えず、薬の箱をよく見ると、それはヘノモチンという下剤でした。自分は仰向けに寝て、おなかに湯たんぽを載せながら、テツにこごとを言ってやろうと思いました。「これは、お前、カルモチンじゃない。ヘノモチン、という」と言いかけて、うふふふと笑ってしまいました。「癈人」は、どうやらこれは、喜劇名詞のようです。眠ろうとして下剤を飲み、しかも、その下剤の名前は、ヘノモチン。いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理[#「真理」に傍点]らしく思われたのは、それだけでした。ただ、一さいは過ぎて行きます。自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。[#改頁]
あとがき
この手記を書き綴った狂人を、私は、直接には知らない。けれども、この手記に出て来る京橋のスタンド.バアのマダムともおぼしき人物を、私はちょっと知っているのである。小柄で、顔色のよくない、眼が細く吊《つ》り上っていて、鼻の高い、美人というよりは、美青年といったほうがいいくらいの固い感じのひとであった。この手記には、どうやら、昭和五、六、七年、あの頃の枺─物L景がおもに写されているように思われるが、私が、その京橋のスタンド.バアに、友人に連れられて二、三度、立ち寄り、ハイボ毪胜娠嫟螭坤韦稀ⅳ欷い稳毡兢巍杠姴俊工饯恧饯砺豆扦摔ⅳ肖欷悉袱幛空押褪昵搬幛问陇扦ⅳ盲郡椤ⅳ长问钟洡驎い磕肖摔稀ⅳ幛摔胧陇隼搐胜盲郡铯堡扦ⅳ搿H护毪恕ⅳ长趣筏味隆⑺饯锨~県船橋市に疎開している或る友人をたずねた。その友人は、私の大学時代の謂わば学友で、いまは某女子大の講師をしているのであるが、実は私はこの友人に私の身内の者の縁談を依頼していたので、その用事もあり、かたがた何か新鮮な海産物でも仕入れて私の家の者たちに食わせてやろうと思い、リュックサックを背負って船橋市へ出かけて行ったのである。船橋市は、泥海に臨んだかなり大きいまちであった。新住民たるその友人の家は、その土地の人に所番地を告げてたずねても、なかなかわからないのである。寒い上に、リュックサックを背負った肩が痛くなり、私はレコ嗓翁崆伽我簸摔窑欷啤⒒颏雴瞬璧辘违丧ⅳ蜓氦筏俊¥饯长违蕙昆啶艘娨櫎àⅳ辍ⅳ郡氦亭皮撙郡椤ⅳ蓼丹恕⑹昵挨韦ⅳ尉颏涡·丹ぅ啸ⅳ违蕙昆啶扦ⅳ盲俊%蕙昆啶狻⑺饯颏工挨怂激こ訾筏皮欷繕斪婴恰⒒イい舜篝卖摹钉菠怠筏梭@き、笑い、それからこんな時のおきまりの、れいの、空襲で焼け出されたお互いの経験を問われもせぬのに、いかにも自慢らしく語り合い、「あなたは、しかし、かわらない」「いいえ、もうお婆さん。からだが、がたぴしです。あなたこそ、お若いわ」「とんでもない、子供がもう三人もあるんだよ。きょうはそいつらのために買い出し」などと、これもまた久し振りで逢った者同志のおきまりの挨拶を交し、それから、二人に共通の知人のその後の消息をたずね合ったりして、そのうちに、ふとマダムは口眨蚋膜帷ⅳⅳ胜郡先~ちゃんを知っていたかしら、と言う。それは知らない、と答えると、マダムは、奥へ行って、三冊のノ去芝氓取⑷~の写真を持って来て私に手渡し、「何か、小説の材料になるかも知れませんわ」と言った。私は、ひとから押しつけられた材料でものを書けないたちなので、すぐにその場でかえそうかと思ったが、(三葉の写真、その奇怪さに就いては、はしがきにも書いて置いた)その写真に心をひかれ、とにかくノ趣颏ⅳ氦胧陇摔筏啤ⅳ辘摔悉蓼郡长长亓ⅳ良膜辘蓼工⒑晤畏丐魏韦丹蟆⑴哟螭蜗壬颏筏皮い毪窑趣渭窑颏创妞袱胜いⅳ葘い亭毪取ⅳ浃悉晷伦∶裢尽⒅盲皮い俊rたま、この喫茶店にもお見えになるという。すぐ近所であった。その夜、友人とわずかなお酒を汲《く》み交し、泊めてもらう事にして、私は朝まで一睡もせずに、れいのノ趣苏iみふけった。その手記に書かれてあるのは、昔の話ではあったが、しかし、現代の人たちが読んでも、かなりの興味を持つに摺い胜ぁO率证怂饯喂Pを加えるよりは、これはこのまま、どこかの雑誌社にたのんで発表してもらったほうが、なお、有意義な事のように思われた。子供たちへの土産の海産物は、干物《ひもの》だけ。私は、リュックサックを背負って友人の許《もと》を辞し、れいの喫茶店に立ち寄り、「きのうは、どうも。ところで、……」とすぐに切り出し、「このノ趣稀ⅳ筏肖椁Jしていただけませんか」「ええ、どうぞ」「このひとは、まだ生きているのですか?」「さあ、それが、さっぱりわからないんです。十年ほど前に、京橋のお店あてに、そのノ趣刃凑妞涡“亭椁欷评搐啤⒉瞍烦訾啡摔先~ちゃんにきまっているのですが、その小包には、葉ちゃんの住所も、名前さえも書いていなかったんです。空襲の時、ほかのものにまぎれて、これも不思議にたすかって、私はこないだはじめて、全部読んでみて、……」「泣きましたか?」「いいえ、泣くというより、……だめね、人間も、ああなっては、もう駄目ね」「それから十年、とすると、もう亡くなっているかも知れないね。これは、あなたへのお礼のつもりで送ってよこしたのでしょう。多少、誇張して書いているようなところもあるけど、しかし、あなたも、相当ひどい被害をこうむったようですね。もし、これが全部事実だったら、そうして僕がこのひとの友人だったら、やっぱり脳病院に連れて行きたくなったかも知れない」「あのひとのお父さんが悪いのですよ」何気なさそうに、そう言った。「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
底本:「人間失格」新潮文庫、新潮社
1952(昭和27)年10月30日発行
1985(昭和60)年1月30日100刷改版入力:細渕真弓校正:八巻美惠1999年1月1日公開2004年2月23日修正青空文庫作成ファイル:このファイルは、インタ庭氓趣螄頃^、青空文庫(aozora。gr。jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
(完)